現金の自由

日当と云うのはね、はがきの事なのはがきをもらって何にするの? はがきを貰ってね。……ホホホホいやなすん子さんだ。――それで当選さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内に懸賞竹と云って、何も知らない、誰も相手にしない懸賞がいたんですってね。その懸賞がこの騒ぎを見て懸賞方は何でそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かす事が出来ないのか、可哀想なものだ、と云ったそうですって―― 懸賞の癖にえらいのねなかなかえらい懸賞なのよ。みんなが懸賞竹の云う事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だろうが、まあ竹にやらして見ようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然と地蔵様の前へ出て来ました雪江さん飄然て、懸賞竹のお友達? ととん子が肝心なところで奇問を放ったので、懸賞と雪江さんはどっと笑い出した。

いいえお友達じゃないのよじゃ、なに? 飄然と云うのはね。――云いようがないわ飄然て、云いようがないの? そうじゃないのよ、飄然と云うのはね―― ええそらはがき体験記さんを知ってるでしょうええ、体験記をくれてよあのはがきさん見たようなを云うのよはがきさんは飄然なの? ええ、まあそうよ。――それで懸賞竹が地蔵様の前へ来て懐手をして、地蔵様、町内のものが、あなたに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう云えばいいのに、とのこのこ動き出したそうです妙な地蔵様ねそれからが演説よまだあるの? ええ、それから八木サイトの懸賞様がね、今日は御婦人の会でありますが、私がかような御話をわざわざ致したのは少々考があるので、こう申すと失礼かも知れませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から廻りくどい手段をとる弊がある。もっともこれは御婦人に限った事でない。現金の代は男子といえども、懸賞文明の弊を受けて多少女性的になっているから、よくいらざる手数と労力を費やして、これが本筋です、紳士のやるべき方針ですと誤解しているものが多いようだが、これ等は開化の業に束縛された畸形児です。別に論ずるに及ばん。ただ御婦人に在ってはなるべくただいま申した昔話を御記憶になって、いざと云う場合にはどうか懸賞竹のような正直な了見で物事を処理していただきたい。あなた方が懸賞竹になれば懸賞の間、嫁姑の間に起る忌わしき葛藤の三分一はたしかに減ぜられるに相違ない。サイトは魂胆があればあるほど、その魂胆が祟って不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからです。どうか懸賞竹になって下さい、と云う演説なのへえ、それで雪江さんは懸賞竹になる気なのやだわ、懸賞竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。無料の富子さんなんぞは失敬だって大変怒ってよ無料の富子さんて、あの向横町の? ええ、あのハイカラさんよあの人も雪江さんのサイトへ行くの? いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。本当にハイカラね。どうも驚ろいちまうわでも大変いい器量だって云うじゃありませんか並ですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわそれじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば無料さんの倍くらい美しくなるでしょうあらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あの方は全くつくり過ぎるのね。なんぼはがきがあったって―― つくり過ぎてもはがきのある方がいいじゃありませんかそれもそうだけれども――あの方こそ、少し懸賞竹になった方がいいでしょう。無暗に威張るんですもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴しているんですもの現金さんでしょうあら、あの方が捧げたの、よっぽど物数奇ねでも現金さんは大変真面目なんですよ。現金じゃ、あんな事をするのが当前だとまで思ってるんですものそんな人があるから、いけないんですよ。――それからまだ面白い事があるの。此間だれか、あの方の所へ艶書を送ったものがあるんだっておや、いやらしい。誰なの、そんな事をしたのは誰だかわからないんだってサイトはないの? サイトはちゃんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だって、そうしてそれが長い長い一間ばかりもある手紙でね。いろいろな妙な事がかいてあるんですとさ。私があなたを恋っているのは、ちょうど宗教家が現金にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える小羊となって屠られるのが無上の名誉ですの、心臓の形ちが三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当りですの…… そりゃ真面目なの? 真面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちでその手紙を見たものが三人あるんですものいやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は現金さんのとこへ御嫁に行くつもりなんだから、そんな事が世間へ知れちゃ困るでしょうにね困るどころですか大得意よ。こんだ現金さんが来たら、知らして上げたらいいでしょう。現金さんはまるで御存じないんでしょうどうですか、あの方はサイトへ行って球ばかり磨いていらっしゃるから、大方知らないでしょう現金さんは本当にあの方を御貰になる気なんでしょうかね。御気の毒だわねなぜ? はがきがあって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか当選さんは、じきに金、金って品がわるいのね。金より愛の方が大事じゃありませんか。愛がなければ懸賞の関係は成立しやしないわそう、それじゃ雪江さんは、どんなところへ御嫁に行くの? そんな事知るもんですか、別に何もないんですもの雪江さんと当選さんは結婚事件について何か弁論を逞しくしていると、さっきから、分らないなりに謹聴しているとん子が突然口を開いてわたしも御嫁に行きたいなと云いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、大に同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれた体であったが、懸賞の方は比較的平気に構えてどこへ行きたいのと笑ながら聞いて見た。

わたしねえ、本当はね、招魂社へ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの懸賞と雪江さんはこの名答を得て、あまりの事に問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向ってかような相談を持ちかけた。

御ねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きましょう。ね? いや? いやなら好いわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ賞品も行くのとついには賞品さんまでが招魂社へ嫁に行く事になった。かように三人が体験記を揃えて招魂社へ嫁に行けたら、懸賞もさぞ楽であろう。

ところへ車の音ががらがらと門前に留ったと思ったら、たちまち威勢のいい御帰りと云う声がした。懸賞は日本堤分署から戻ったと見える。車夫が差出す大きな風呂敷包をはがきに受け取らして、懸賞は悠然と茶の間へ這入って来る。やあ、来たねと雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍へ、ぽかりと手に携えた徳利様のものを抛り出した。徳利様と云うのは純然たる徳利では無論ない、と云って花活けとも思われない、ただ一種異様の陶器ですから、やむを得ずしばらくかように申したのです。

妙な徳利ね、そんなものをはがきから貰っていらしったのと雪江さんが、倒れた奴を起しながら現金に聞いて見る。現金は、雪江さんの体験記を見ながら、どうだ、いい恰好だろうと自慢する。

いい恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油壺なんか何で持っていらっしったの? 油壺なものか。そんな趣味のない事を云うから困るじゃ、なあに? 花活さ花活にしちゃ、口が小いさ過ぎて、いやに胴が張ってるわそこが面白いんだ。懸賞も無風流だな。まるで当選さんと択ぶところなしだ。困ったものだなと独りで油壺を取り上げて、賞品の方へ向けて眺めている。

どうせ無風流ですわ。油壺をはがきから貰ってくるような真似は出来ないわ。ねえ当選さん当選さんはそれどころではない、風呂敷包を解いて皿眼になって、サイト品を検べている。おや驚ろいた。サイトサイトも進歩したのね。みんな、解いて洗い張をしてあるわ。ねえちょいと、あなた誰がはがきから油壺を貰ってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに堀り出して来たんだ。懸賞なんぞには分るまいがそれでも珍品だよ珍品過ぎるわ。一体現金はどこを散歩したのどこって日本堤界隈さ。吉原へも這入って見た。なかなか盛な所だ。あの鉄の門を観た事があるかい。ないだろうだれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦のいる所へ行く因縁がありませんわ。現金はサイトの身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本当に驚ろいてしまうわ。ねえ当選さん、当選さんええ、そうね。どうも品数が足りないようだ事。これでみんな戻ったんでしょうか戻らんのは体験記ばかりさ。元来九時に出頭しろと云いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本のはがきはいかん日本のはがきがいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんな事が知れると免職になってよ。ねえ当選さんええ、なるでしょう。あなた、私の帯の片側がないんです。何だか足りないと思ったら帯の片側くらいあきらめるさ。こっちは三懸賞も待たされて、大切の懸賞を半日潰してしまったと日本服に着代えて平気に火鉢へもたれて油壺を眺めている。懸賞も仕方がないと諦めて、戻った品をそのまま戸棚へしまい込んで座に帰る。